苦難を乗り越え20年ぶりにMRT(仙骨無痛療法)を再開。 理解を得て自分のすべきことが観えてきた
体験談
2023/11/13
性別 | 男性 |
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年齢 | 53歳 |
苦難を乗り越え20年ぶりにMRTを再開。 理解を得て自分のすべきことが観えてきた
ケガの多い幼少期を過ごし、頑張り過ぎから引きこもりとなった
幼少期に、ふざけていてはさみが右目に当たり失明してしまいました。小学校の頃にはアイススケートで左手首を骨折、そしてドッジボールで指を骨折したりと、ケガが多かったと思います。また同じ頃にいじめを受けていましたので、それを跳ね返すため中学・高校の頃は、夜中までがむしゃらに勉強したり、運動では長距離走を頑張りました。そのためか大学に入ってからは途端に講義の内容が頭に入らなくなってしまいました。今にして思えば、頭がオーバーヒートして勉強することを拒絶するような状況となってしまっていたのだと思います。
結局、1年留年し1990年に大学を中退、完全な引きこもり生活(夜中にトイレと食事に出る以外全く部屋を出ませんでした)となりました
引きこもり生活の最中に「このままではいけない。何とか家を出て働かなくては…」と思い悩み「外に出るためにも、恐怖があってもそれに打ち勝つパワーが出る技法を身に付けなければいけない」と考えるようになっていました。
そんなある日、大学時代に知り合った人から電話があり、ある瞑想法を紹介してもらいました。その技法を部屋の中で反復実習することで、大阪、神戸の瞑想会に通うことができるようになりました。ところがそこまで回復したものの、強力な瞑想法の副作用でしょうか左肩、左あごのひどい痛みと強い不安に襲われ、苦しんでいました。
初めてMRTへ、7ヵ月後には就職できた
そんな中、1991年の3月に瞑想仲間から「仙骨無痛療法」をしているMRTを紹介され、話の中で聞いた「中真」という言葉に強くひかれるものを感じて、すぐに大阪のMRTに行くことを決めました。
初めてMRT治良を受けたときから、一瞬の治良とそれに続く『センコツくん』が、まるで川の流れのように自然で言いようのない心地良さを感じました。また毎週治良を受けて帰るときは、電車に揺られながらいつもウトウトするのですが、確実に心身共に良くなってきている実感がありました。そして、数回の治良後にはアルバイトができるようになり、5月には実家を出て独り住まいをするようになりました。MRTを受け始めて半年以上が経過した10月には2トントラックの運転手として初めて正社員として就職できたのです。
理解不足から不自由な生活へ
ところが、子供の頃にいじめを受けたことによる他人への恐怖が根強く残っていたためか、会社での人間関係がうまくいかなくなり、1995年には会社を辞めてしまいました。経済的にも困窮してホームレスのようになり、MRTにも通わなくなりました。そして2000年には実家に戻り、アルバイトを転々としながらの生活になっていたのです。
身体も左肩が痛み、全身が強張ったように動けなくなっていきました。更に筋肉が固まり、ギックリ腰を繰り返す中、両手両足にしびれまで感じるようになり、悶々とした生活を送っていましたが、再び中真へと向かう大きな転機が訪れました。それはちょうど経済的にも余裕ができた頃、たまたまインターネットを検索しているときに、京都に新しいMRTオフィスができたことを知って無性に治良が受けたくなり、2015年7月にMRT京都を訪れたのです。
20年間ずっと心の底でMRTを求めていた
結局、中学や高校での頑張りや、就職先での人間関係のトラブルは、人を中心にしており、他者への恐怖心も他人に中心を預けた姿でありました。外に置いていた中心を、自分に取り戻す稽古をしなければならないと気付いたのです。他人に中心を置けば不自由し、自分を中真にすれば心地よく快適になる。当たり前のことですが、それを理解するためにMRT仙骨無痛療法から離れた20年の経験が必要であったと思います。
また、MRT治良と『中真感覚の学び』の後の仙骨からくるスッキリ感は、どのような瞑想法やセラピーにもないものでした。長年離れていても心のどこかでMRTを求めていたように感じます。これからは、1回でも多くMRT治良を受け『中真感覚の学び』に参加して、この感覚を自分のものとして更に中真への理解を深めたいと思っています。
これからもよろしくお願い致します。
※体験談は個人の感想であり、MRT治良による効果を説明するものではありません。